認定こども園カトリック日田幼稚園(旧:聖母幼稚園)

教会に隣接している幼稚園です。

今でも聖母幼稚園として、日田の人々に親しまれているカトリック日田幼稚園は、2015(平成27)年3月、大分県から認定こども園に認定され、正式名称は「認定こども園カトリック日田幼稚園」となりました。  今まで通りの「聖母幼稚園」「カトリック日田幼稚園」として、今後ともよろしくお願いいたします。
 


JR日田駅

日田駅前のオブジェ。

H TAとなっていて、Iの文字がありません。このIの部分に人が立って、是非あなたの愛でHITAを完成させてくださいということらしいです。 日田駅では、かつては「天領弁当」などの駅弁が販売されていましたが、現在は「寶屋」の以下の弁当がキヨスクで予約販売されていて、10分ほどで出来るそうです。たかな巻すし630円、たかなそぼろ弁当850円、鮎すし800円。
 


豆田町並み

西国郡代のお膝元、天領の町として栄えた日田市内の豆田町には、往時の繁栄を偲ぶ町並みが残っています。

豆田町は慶長6年(1601)年に徳川方丸山城の城下町として生れました。  多くの古い家蔵が残っています。豆田町には、当時の町割・地割・町道・用水路などが昔のまま残り、加えて名代官と呼ばれた塩谷大四郎正義に資金を調達した広瀬久兵衛(博多屋)をはじめ、丸屋・鍋屋・升屋など古い造りに伝統がしみ込んだ日田商家が甍を並べています。
 


ここ数年、町づくりの取り組みの中で、新しく日本丸館・市山亭懐古館・宇治山哲平美術館がオープン。さらに平成7年の秋にはクンチョウ酒蔵資料館がオープン。豆田町からつづく天神町や清水町でも往時の繁栄ぶりを誇る町並みがみられます。 平成12年に御幸通の電線地中埋設が行われました。
 


咸宜園

咸宜園は、江戸時代後期に生まれた儒学者、廣瀬淡窓が豊後日田に開いた日本最大規模の私塾(学校)です。

 「咸く宜し」(ことごとくよろし)とは、すべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めました。  「神はすべてをよしとされた」という聖書の言葉にも通じている咸宜という言葉です。
 


三隈川夜景

 三隈川には、玖珠川をはじめ花月川や 高瀬川、串川などの支流があり、それらが市内で合流し日田市の水郷としての景観を作っています。

江戸時代以来の木材の産地であったことで三隈川は切り出された材木の輸送経路として利用され、昭和初期以前は現在の銭淵地区周辺が上流から運ばれてきた木材の集積地となっていました。そのため、現在もこの地区には製材所が立地しています。川は、可動堰によって仕切られ、一部に淵を形成しています。この流れを"銭淵"といい、筏流しが行われていた頃は木材の集積場所となっていました。また、江戸中期には広い水面を利用した舟遊びを行う文化が生まれました。  『豊西記』にある「日と鷹神話」によれば、大昔の日田盆地は、東西五十余町、南北百余町ほどの湖でしたが、地神第5代ウガヤフキアエズ命のとき、東からやってきた大鷹が湖で羽をひたして北へ去った直後、突如として大地が鳴動し、雷光が走ったことによって湖の西の端が崩れて湖の水が湖外に流れ出し、あとには大きな川と3つの丘が現れました。この川が現在の三隈川であり、3つの丘とは、三隈川と並ぶ日田市のシンボルとなっている日隈、月隈、星隈の3つです。
 川開き観光祭は、1947(昭和22)年から始まりました。鵜飼による鮎漁解禁に合わせて始まる日田の川開き観光祭は、三隈川をメーン会場として2日間に亘り、1万発以上の花火も打ち上げられます。